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蒜山の怪物 スイトン
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週刊朝日「わたしの博物誌」の原文より掲載 串田孫一
「博物誌」に化け物を入れるのはどうかと思うが、和漢三才図絵には、木客(もっかく)とかヤマワルとか魍魎、水虎いろいろ恐ろしくもあり滑稽でもあり、時には、かわいらしくもある変なものが沢山載っている。そういうものが確かにいるんだと信じているから載せるので、決していんちきなものとして扱っているのではない。
それなら私も実在しているものとして、蒜山のスイトンを入れることにしよう。蒜山は山登りの好きな人なら知っているだろうが、岡山県と鳥取県の境にある山で、その南に蒜山原といって、昔は湖だったと言われている広い野原がある。開拓の人たちが熱心に土を掘り起こしたり、牛の乳をしぼったりしている。今はもちろん雪である。
私も、かなりはげしい吹雪の、寒い日にこの原をのぼり、ストーブのごうごう燃えているのが何よりありがたいロッジに泊まった。そこでこの蒜山にはスイトンという恐ろしいものがいて、人間を引きさいて食うという話を聞いた。どうしてスイトンなどという名前がついたのだろうかと思ったら、スイーと飛んで来てトンと一歩足で立つからだという説明である。
こういう話になると私は体を乗り出して、子どものころの、「それから?それから?」という表情になるらしい。それからスイトンは人間が考えたり思ったりしていることがみんな分かるのである。
これは「博物誌」に入れてもいいぞと思ったりすると、それも分かってしまうのである。
蒜山では、もう一つ別の、化け物の話をきいた。ついに実物を見に行く時間がなくなってしまったが、大そう大きなハンザキがいる。この近辺ではハンザケという人もいるそうだが、半裂けになっても、なおすまして生きているから、この名をもらったのだ。スイトンに引きさかれることがあっても、人間とちがってこっちは死なない。これは事実だろうが、ヨーロッパ人が昔考えたように、火の中を歩いても燃えないとか、炎の中に棲んでいるという方は、幻想的である。このサラマンドルは、たしかフランソワ1世の盾か何かについていたと思う。不死身であることが、ある人にとっては羨ましいのである。
その私が見なかったハンザキは、そろそろ百歳になるという話だ。刺激を与えると、背中のいぼいぼから白い液を出し、ぷうんとサンショウのにおいがして来る。どうもこれは「博物誌」では扱いにくくて、かえって怪物の方に入ってもらった方がいい。
私はそんな話をきいた翌日、蒜山に登った。雪を踏んで歩き、西に重なる山の奥に、大山の南壁が堂々と肩を張って立派だった。天気もどんどん良くなって、遠くの山ひだまでよく眺められる明るい日だった。その山を歩きながら、スイトンがトンと一本足で私の前に立ちふさがってくれないものかと思った。
ぼくが今何を考えているかあててごらん。そういうとスイトンは首をかしげる。口惜しがって歯をかちかち言わせる。私はからかいすぎて結局は食われるかも知れないが、しばらくはスイトンと一緒に遊べそうな気がした。
ところが、山を下り、もう日暮れになって谷を渡るとき、水をすくって飲むために、流れに手を入れたとたんに、ぞっとした。いや、何が出て来たのでもない。何を見つけたのでもない。でぶでぶと何十年も生きながらえているハンザキのことを思い出したのである。
サンショウのにおいがしてきた。冷たい水がきれいな音を立てて流れているけれど、川原の石ころが、どうもハンザキの頭に見えて仕方がない。前足の指が四本、後足の指が五本、瞼のない、ぽちんとした目、昼間は石のあいだや川岸の穴にかくれているが、夜になると活動をはじめるというこの怪物。私はのどがかわいていたけれども、その水を掬いあげて飲む元気がなかった。
ロッジに戻ると、私のために、アルコール漬のハンザキが机の上に並べてあった。卵から順に成長していくようすがよく分かるよう並べられてあったが、どうも私には、太陽のごとく、死のごとく、こいつを見つめることが出来なかった。
これが特別天然記念物なのだ。このぶよぶよの怪しげなものが。 |